2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

しかし、今年はいろんな人が死んだなあ。そのなかには、これからの世の中に絶対必要な人も何人かいたのだが、運命は残酷だ。

去年の末に考えた、今年中にやることが、ほとんどできてなかったのでは。まあ、世界的にも、国内的にも、予想外のことがたくさん起こったからねえ。当初予定していたものより重要なものがみつかったのもあるが。

部屋を片付けようとするが、片付けようとすると、よけい散らかっていく不思議。よって途中で片付けること自体をあきらめる。毎年そうしているような。

米国は、簡単に崩壊したりはしないし、ドルも紙くずにはならない。

しかし、人間、無意味に手をひろげてはいけない。

今年を振り返るふりをする2

個人的には、ここ30年間腐敗と堕落を積み重ねてきた「生」を回復するべく、いままでも多くのものをすて、新しく勉強をやりなおしたのだが、それもうまくいっていないというような現状か。おそらく来年もそうだろう。

今日の午前中で、年内の仕事は終わる

「ファシズム」の「敵」は、「社共」ではなく、腐敗堕落した、通俗的小市民的な「保守」ということになるのだろうか。

「作家」は、「プロ」になってはいけない

まだまだ、気が抜けて、集中できない。こんなことではだめだ。

年末もいろいろ大変だ。

1985年2月に竹下登が創政会をつくった時に、現在の「政治状況」は決定されていたのだろう。

今の「状況」の根源をたどると、ここにたどりつく。もう25年も前のことだが。85年には、他にも重要なことがいくつかおきている。

今年を振り返るふりをする。

世界的、歴史的にみれば、今年起こった最大の「事件」は、共産中国が、世界の「超大国」になってしまったことか。そこを見落としてはいけない。日本の、自民党から民主党への政権交代も、そういう世界的な「流れ」の一部とみるべきか。

最近、私自身がだらけきっているということが、最大の問題か。

現在、日本にファシズムがうまれたとしたら、最初に議席を奪われるのは自民党であろう。

かって自民党は、草の根の一般大衆によって支えられていた党であった。草の根の一般大衆の支持がファシズム党のほうに行ってしまえば、とうぜんそうなる。

細かい雑用で、肝心なことが出来ない。ただ、時間の使い方が下手なだけか。

また間違った方向に行きそうなので、どうにかしよう。

午前中は外回り、夕方、父の大腸のポリープをとる手術にすこしたちあう。

しかし、まだまだ、世の中にはいろんな人がいるのだなあと。

日本に、ファシズムが発生する状況がそろったのではないか?

おそらく、この国の草の根の大衆は、ある政治家を押し上げ、現民主党政権を、暴力的に破壊するのではないだろうか。この問題については、さらに考える必要があるか。

しかし、いろいろやっかいな時代である。

もうすこし、「的」は絞るべきか。手を広げすぎるのはよくない。

物置でテクノハウスの12インチシングルを探す。みつからない。どこにいったのやら。詳しく探すと物置がさらに散らかるので、適当なところでやめておく。古本を処分する。

まあ、なんとか年は越せそうである。

余計なことを考えるのはやめよう。

結局人生というものは、何を犠牲にするか。ということか。

あいかわらずやらなくていいことが多い。それをどう減らすか。

好奇心をいかに捨てるか?

「情報」の整理のしかたをかえた。前のメモやノートの一部を捨てる。

「現代」、「日本」において、「作家」であるということは、どういうことなのだろうか?