宮沢章夫作・演出による、ドラマ・リーディング。「鵺/NUE」をみにいく。ここ何年か、というより、この演出家が、「遊園地再生事業団」と名乗ってからの「作品」のなかで、だんとつに一番面白いと思う。全部みたわけではないが。それ以前も含めても、これと同じぐらい面白いものは、一つか二つあったかどうか。なにがいいかというと、複雑な「人間」の表現に、かなり成功していることであろうか。時間を短くして、登場人物を減らしたのが理由か。今回、無駄な登場人物はでてきません。「表現」に不必要なエピソードもありません。無駄なせりふも少ないです。(まったくないわけではない)「演出家」、「役者」、「女優」という、この演出家にとって、「身近な」題材を使ったのも、よかったのか。しかし、一番面白いのは、この作演出の人が、「自己の問題」を、原型をとどめないぐらい歪んだ形ではあるが、「露骨」に「表現」したことだ。


最初空港が出てきたとき、日本赤軍のテルアビブ事件となんか関係があるのかと思ったが、直接は関係がないようだ。


この作演出の人は、将来的には、日本演劇界の「王」になる。「魔」が「王」を選ぶ。「奴隷」である、「王」だ。


私は、謡曲「鵺」の仏教的な世界観が好きだったので、「鵺/NUE」にもそれを取り込んでくれるかとも思ったが、やはり難しいか。「世を捨人の旅の空」と読み上げるのは、女より男の声のほうがよいのではないか。あの女の人は、声がきれいすぎるのが、難か。



結論的なことを書くと、「鵺/NUE」の「鵺」とは、マルクス主義ないし、それに準ずる新左翼的思想のことだ。おそらく。米国の「侵略」や「小泉の改革」に対する、反動か。しかし、それは「罠」だ。かなり危険な。



まあ、本公演は、これより面白くなくなるだろうが、それはしょうがないことだ。本公演で、これ以上にシンプルにしたらすごいが。そんな「勇気」はないだろう。





隕石落下前の渋谷を携帯電話のカメラでとったりする。三軒茶屋もとる。


行き帰りの車内で、携帯電話の着メロをダウンロードしたり、ジョゼフ・E・バーシコの「ニュルンベルク軍事裁判」の上巻を読んだりする。


夜中、PCの電源が入らなくなった。適当にいじってみたら、なおった。