しつこく「シン・ゴジラ」についてであるが、この話の「テーマ」が「憲法」であることは、誰にでもわかる。米国その他の国の「協力」があれば、「憲法」をまもることができるという。ようするに、「日米安保条約」があるから、「憲法第9条第二項」を守る事が出来るという、憲法の前書き的というか「戦後」そのものではないか。現安倍政権は、憲法第9条に第三項をつけくわえて、自衛隊を国軍にしょうとしているが、それはまた別の話。というか、どんな理由があるにしても、自国のスーパーコンピューターを他国に使わせることは、絶対に無い。それぐらいわかるだろう。あと気になるのは「皇室」だ。なぜまったくでてこないのか?ゴジラの熱光線によって、皇居もかなりの被害をうけているだろうに。おそらく、1945年3月10日の東京大空襲は、もっとすごかっただろうし、これからおこるであろう第二次朝鮮戦争の時のソウルなどは、もっとすさまじいものになるだろう。しかし、東京が破壊され、放射線で汚染されるのを、地方の人たちはどういうふうにみていたのだろうか?そういう「視点」がこの作品にはない。結局、国民、市民が何万人死のうと困らない「有力政治家」や「高級官僚」が、早口でいろんなことを言い合う、カフカ的な「退屈」な映画です。