でかけず、家で過ごす。本や漫画本を読んだり、DVDをみたりする。特にどうということもない。


テレビをみる。たとえ子供向けの番組でも、たとえば、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」や「悪霊」と同じレベルでみる。あくまでも「たとえ」だが。で、今日問題になっているのは、「速度」「速さ」だ。「速さ」は「強さ」だ。もちろん、それは、軍事的なことだけではない。すべてにおいて、だ。


それとは直接関係なく、子供たちに、「死」と「破壊」が刷り込まれていく。



もはや、「日常」が「ホロコースト」だ。



夜、光通信についてメールで話す。光が優れているのは。「速い」からである。



母親と、今後のことを話す。ある意味、これは罠である。



相方が死んで半年。そろそろ「次」を考える。