「トータル・リビング 1986-2001」


長いよ。2時間半以上あるじゃないか。埼玉の真ん中からみにきている者のみにもなってほしいものだ。終電がなくなってしまうではないか。おかげでポスト・パフォーマンストークとやらがみれなかったではないか。まあ、それはそれで、ある意味「現在」を表現しているのか。この長さは。じつはこれ、第二部がなくても、なんとかなるんだけどね。そんなことより、福島に行くべきだ。福島第一発電所半径20KMの立ち入り禁止ぎりぎりのところまで行くべき。そこにも普通に生活している人がいるのだから。福島だけでなく、民主党からも中央の官僚からも、ようするに日本国国家権力から見捨てられつつある東北三県がどうなっているのか、みにいってくればいいのではないか。問題は、この「作家」の言う、「表現」が、この「現実」にたいして、どのような「意味」と「力」があるかということか。